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天正年間(1573~1592年)~江戸初期(1600年頃)には<切遣い銀貨>と呼ばれる商業用の地方銀が出回っていました。 ちなみに<切遣い銀貨>とは、その名の通り切って使用する為、どこから切っても極印が判るように造られています。これは、<御公用銀>などの銀判でも同じです。
江戸においては幕府による貨幣統一がされても、浸透しない地域では地方銀が流通していたようです。
また、中には加賀、能登(石川県)、越中(富山県)のみでしか使えなかった銀貨も存在しました。
これは天正~寛文9年(1669年)の間に加賀百万石の前田家によって鋳造され、<花降銀>や<切遣い銀>などがありました。 <花降銀>は純銀に近い銀という意で、<加賀花降銀>という十両銀判も造られています。
銀には<丁銀>というものが存在し、これは室町時代後期~明治維新まで用いられていた銀貨であり、重量で価値を決めていました。また、特定の時代のものは<古丁銀>と呼ばれるそうです。
江戸時代においては大阪を中心に西日本で出回りましたが、慶応4年(1868年)5月に公布された明治維新政府の銀目廃止により丁銀は姿を消したのです。
また、金の小判が時代の名などがついているものが多いのに対し、銀判には以下のように、各国や地名がついているものが多いように思います。
<相模国 小田原菱小判銀>
<越前国 蔦小判銀>
<但馬国 壹両小判銀>
<三浦小判銀>
<因幡国 甚兵衛極印切銀>
<因幡国 甚兵衛極印切銀>
<福引小判銀>
<花降小判銀>
<雛板銀>
<寶字豆板銀>
上記は数ある銀判の種類の1部です。